2008年7月アーカイブ

おそらく28回目の夏だと思う。生まれてから幾度と無く夏を過ごしてきた。ギンギンに照りつける太陽の中、木陰に身を置いて心地よい微風を感じながら、木々の葉が揺れ動く姿を見つめながら夏の開放感に浸りながらアドレナリンと締め付けるTシャツとに絡まれながらクルクルと回った。


28回目の夏も彷徨い続けている。


こんな暑い日はキンキンに冷えたグラスに絞りたての生ビールを注ぎ、口からこぼれ落ちる勢いで喉へと流しこみ体全体へとアルコールを送り込み、暑さとアルコールの濃度とに理性なんて彼方へとぶっ飛ばして誘惑と欲望と願望とダラダラと流れ続ける汗の中に毒々しいアバンチュールを感じながら、冷静と情熱との間を往き来する毎日から冷静さだけを取り除いて、ただひたすら己の体が欲するがままに全てを受け入れることで自分の存在意義を再確認する。だから真夜中の3時になると眠らない街歌舞伎町へと繰り出すし、朝6時になれば一通り使い果たした精力を拾い集めるためにファミリーレストランへと足を運び分厚いステーキを食べてグラス一杯のビールをまた喉の奥へと染み渡らせる。そんな1日のサイクルを30回も繰り返せばやがて夏も終わり、また1年後のアバンチュールへ向かって冬眠の中へと身を潜らせる。

気づき

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誰かに何かを言われて変わるようじゃ信念なんてものは何の意味も為しえない。
昔は悪だったなんて言ったところで所詮は小さな世界の話。
夜を明かして踊り狂ったなんて持ち出したところで何処にでもある話。
非常階段に屯して隠れてタバコを吸っていたなんて自慢したところで何にも面白くない。
夜の校舎に忍び込んで走り回ったって此処から抜け出すことは出来ない。
外の空気を吸いたいなんて繰り出しても現実から逃れることなんて出来ない。

それでも心に抱いてしまった感情は誰にも制限されること無く自由気ままに空を飛び回る。

誰からも非難されること無く己が欲するままに彷徨い続ければいいのだ。
終わりの無い逃避行と無理に意味づけすることで、其れがあたかも我に与えられた使命だと勘違いすることである意味では何かが生まれて来ることさえあるのだ。

眠い。


眠いけど細胞が尋常じゃない速度で加速し続けている。
数ヵ月後か、数年後か、数十年後か、数日後か知らないけど胸を張って眠いって言えるような明日からの回転数に光明が見えた。

翳りゆく部屋

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中学生の頃なけなしのお金でエレファントカシマシのシングルCDを買った。
何度も繰り返し聴き、今でも其の曲を耳にすると、あの時の情景が蘇る。

義務教育に反骨心を抱き、繰り返される毎日が延々と続く事に退屈を覚えていた。
強大で覆ることのない権力に対してささやかな抵抗を抱きながらも、自我を押さえつける事を覚えいつしか慣れてしまった。

どの時代にも逆らうことの出来ない決まり事が存在し、形の無い権力に縛られた世の中が創られているのだ。

爆発的に膨れ上がるより所の無い叫び声をいったい何処へぶつければいいんだ。

いつの間にこんなにも大人しくなってしまったんだ。
受け入れられない自我を声高らかに叫び続けて、憤りを感じ、体外へと押しやって来たのではないのか。

キチガイと呼ばれても僕は叫ぶ。

つい数日前までは、青ざめて、脳のシグナルに違和感を感じつつ
これは確実に体調に異変を生じているなぁなんて思いながら満員電車に揺られて
拒絶と期待感の狭間に右往左往していたけれど、過ぎてみれば大したことなんか無くて
20代後半になった今でさえ、羞恥心と根拠の無い期待感の狭間に身を置いて。

もしかしたら今日はいい事あるかもしれないぞ、なんて無意味な願望に踊らされながら
気がついてみれば、一応の就業時間が終わっていて。
さてそろそろ街へ繰り出すとするかぁなんて口だけの行動を声に出してみて
結局のところ何も変わらずに読みかけの本を手にとって、一気に読み終えてみると日付も変わっていた。

いやに冷静な落ち着きを取り戻せたので、何に恐怖心を抱いているのかを考え直してみたところ
より保守的になる事で、愚鈍と思われたくないのだ。

バスケットに例えると日々の基礎練習がいくらきつかろうと、其れが自らの糧となるならば耐えることの出来る出来事の一つに過ぎないなんて偉そうなことを言ってみても、自分自身がリスクを負うことに慎重になり行動の一つ一つに細心の注意を払い、僕は決して望んでなんかいないんだなんて強がりたいだけだと解っていても、なかなか火の中に飛び込むことなんて容易なことではない。

理解はしている、其れを受け入れているつもりでもある。


立ち向かう勇気が無い滑稽で鈍化した脳内秩序におやすみなさい。

静かなる仕掛け

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目を閉じれば蘇る。あれから10年経った今でさえも。

「デザイナーではなくアーティストなのだよ」と言ったあるアーティストの事を。

ヒップホップミュージックを奏でるアーティスト達は表現することに全ての神経を注ぎ込む。
歌うことはコミュニケーションであり、表現することは生きることなのだ。

彼らの其れを観ていると、鳥肌が立ち、身震いし、血管の中を血液が駆け巡る。

ある芸術家が文章によって表現するそれもまた同じ事だ。

陶芸家は時間をかけて、作品を創り上げる。
時間は創造するための要素に過ぎない。

「それは完全なる利己主義であり、自慰行為に過ぎないのだよ。」と言われ続けても
絶対的な信念によって決定付けられた、欲求であることは認めざるを得ない。


それでも全力を尽くし、文章に書き起こしてみることで
自らの意思を再確認するのだ。

2011年9月

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