変化のない日常ほど退屈なものはない。
思考を巡らせる時間が不意に訪れた時に僕は音楽を聴きながら人生を振り返る。
ほとんどの場合が過去の出来事についての選ばなかった判断についての妄想だ。
未来の無い現実には興味が無い。同じことを繰り返すのではなく新しいことにチャレンジしていかなければならない。
人生は短いのだ。寄り道をしている暇なんて無い。
目的地へ到着するための最短の道を選択していくしか他ない。そうこうしている内に31年も時が過ぎた。
あまりにも時が過ぎすぎた。それでもまだ残された人生を時間を大切に生きていく。
大学の頃下宿先から見えた夜空が今でも鮮明に蘇る。
親とぶつかり、教師とぶつかり。義務教育とぶつかり、友人とぶつかり。
正論は受け入れられず、異議を唱えることを否定され。論理的転換は杞憂だと揶揄され。
思考を巡らせることはうざったいと言われる。
楽天的に生きることが出来ればどんなに楽だろう。欲望に流されて未計画に振舞うことがどんなに幸せだろう。
正しい世界ではNOと言うことは正当に評価されるが、この日本において殆どの場合は生意気だと否定される。
社会に出たばかりの大人も、ポストについている重要な大人も根幹の能力は何も変わらないのに
コミュニティに所属している年数が長いことが正しいことであると言う間違った正義がまかり通っていることに絶望を覚える。
昔からそうだった。何をするにしても腐った正義が正当化され、本当の正義は見てみぬ振りをされる。
NOと言うと拒絶されるし、環境を変えることは逃避と言われる。
日本と言う国に生まれ誇りに思い、この国の人が本当に好きだが、この社会には本当にうんざりする。
正しいことを言うことの何が間違っていると言うのだ。間違ったことを正当化することの何が正しいと言うのだ。
曖昧模糊としたまま問題を先送りすることで何が得られるというのだ。
成功も失敗も行動せずには得られない。成功したいと嘆いたり失敗を恐れて臆病になったり。
人生は1度きりしかないと分かっていながら何も行動せずに1日また1日と中身のない日々が過ぎるのが一番虚しい。
環境に不満を覚えて去ったとしても新しい環境で、また新たな不満が浮き彫りになるのは目に見えている。
BecauseではなくWantで動かない限り全身もないし成功も失敗も無い。
このまま何も変わらず年老いていくのは糞食らえだ。
保守に回ることは現状維持であり、攻撃的に動くのは成功または失敗である。
だから現状維持でいいのであれば保守的に生きていけばよい。
でも成功へと進みたいのであれば日々を攻撃的に生きていくしか他ない。